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□安芸武田家の最期-天城蛍回想録-
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あれは、天文9年。春のことでした。
かねてから御療養されていた光和さまが、お亡くなりになりました。

直接の死因は、無理をして戦場に立たれて負った傷から毒を受けたことによる、衰弱です。
最期まで、武田家の未来を憂いながら、光和さまは息を引き取られました。

みずち姉さんは、私の父が引き取り、家督は若狭からいらした養子の信実さまが継がれました。
しかし、光和さまが亡くなった時点で、武田家はすでに滅亡への道を踏み出していたのだと思います。

家臣たちは分裂しました。
光和さまの弔い合戦を、今すぐにでも始めよと叫ぶ人。
それに、まずは毛利と和解するべきだと言う人。

どちらも己の言い分を引くことはなく、とうとう仇討ち派の品川左京亮殿が、和睦派の香川光景殿を攻めるという事態にまで発展してしまいました。
香川殿は、熊谷家に援護を頼み、品川殿を撃退しました。


この内部分裂に、もう勝ち目はないと悟った信実さまは、逃げるように若狭へ戻られました。
家臣たちの中には、毛利へ付く人間も現れましたし…子どもである私にとっても、武田家の滅亡は近いと肌で感じ取られました。


余談を許さない日々…親に心配をかけたくなくて、私は何も気づかないふりをして、いつも通りの暮らしをしていました。
私たちは、いつまでこうしていられるのだろうという不安を、心の中に抱えて。

そうですよね。私は家臣、それも光和様の個人的友人の娘にすぎませんから、捕まっても女郎屋に売られる程度でしたでしょうが…みずち姉さんは、光和さまの血を引いています。
毛利討伐派が、信実さまに見切りを付けて、みずち姉さんを跡継ぎとして担ぎ出すかもしれませんし、武田が毛利に滅ぼされた暁には、そのまま殺される可能性だって…。

そんなことを姉さんに言ったら、姉さんは笑って言いました。

「ばか、このあたしが簡単に殺されると思ってるのか?」

そんな姉さんの後ろに、大蛇さまの影が見えたような気がして…なんとなく、安心したことを覚えています。
今でもそうですけど、まったくもって、どっちが従者なのか分かりませんよね。

それでも、時というのは残酷なもので…しばらくは家で暮らしていた私たちでしたが、転機がやってきました。

尼子氏が、大内氏討伐に乗り出し、若狭の信実さまがそれに乗じて、武田復興を狙ったのです。

大内氏討伐への早道として、尼子氏は、毛利の居城であった吉田郡山城を落とすため、信実さまと共に銀山城へ入りました。
信実さまは、私やみずち姉さんにが城に留まるように、父に命じました。

いずれ毛利と大内を倒し、武田の天下が戻ってくるのだからということでしたが…真意は、測りかねますが。
おそらくは、武田の天下が戻ってきたなら、みずち姉さんを無理矢理、光和さまの娘として利用するつもりだったんでしょうね。

やがて戦が始まりましたが…数はこちらの方が多くとも、これも毛利の策故か。
思うように攻略は進まずにいました。

とうとう、陶隆房率いる大内軍が上陸し、戦況は一気にこちらが不利になります。

やはり、光和さまなくして、武田の生き残る道はなかったのでしょうか…。

年明けを気に、毛利・大内軍は総攻撃をかけるつもりだと、空気で伝わってきました。

ここで、父は決意したのでしょう。
信実さまの意に背き、私とみずち姉さんを国外へ逃がそうと。

年が明けてすぐ、父は天城家に伝わる法具や呪符といったものを私に背負わせ、みずち姉さんに安芸武田の血を引く者の印として、いくつかの家宝を持たせました。

時間は多く残されていませんでした。

城の裏口から、私たちは外へ出されました。
長い手紙を渡され、「これを持って、甲斐武田家の武田信虎殿を訪ねなさい」と。

2人とも“力あるもの”とはいえ、まだ10歳の子どもです。
遙か遠くにある甲斐まで、無事にたどり着けるとは限りませんでした。

それでも、父は私たちを信じ、長い書状と共に送り出してくれました。

最後に、城の裏口から私たちを送り出し…くれぐれも気をつけろと、何度も言って。

これが今生の別れになると分かってはいましたが、私には亡く余裕もありませんでした。
父は、自分は死ぬことを覚悟して、戦うための武器を私に持たせてくれたのです。
長い手紙は、無事に甲斐にたどり着けたら読みなさい、として。

この手紙には、私が知らなかった母の死の真相―それから、父と光和さまが歩んでこられたこと全てが書かれていました。
最後には、「復讐など考えずに、蛟さまと2人で幸せになりなさい。それが、わたしと光和さまの最後の願いだから」と。
一人娘で、生き残ったならば家や技を継がなければならない立場である、私にです。
私の父も、光和さまも、最高の父親であったと思います。
心の底から、娘である私たちを大切にしていてくれたのだと。

あの時は、そんなことを考える余裕もありませんでしたが。
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