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□安芸武田家の最期-天城蛍回想録-
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あれは、天文2年…私たちが4歳の時のことでした。

みずち姉さんの乳母でもあった私の母が、亡くなりました。

表向きには病死、とされましたし、私自身も幼かった故に、そう思っていました。
どことなく、違和感を感じたことは、朧気に記憶にあるのですが…。
そもそも、立場的には光和さまの友人に過ぎない父であり、母はその妻です。特に表沙汰になることもなく、静かに葬儀は行われました。

しかし、真実は違いました。
これは、私たちが銀山城を出る時に、父が私に預けた手紙に書かれていたことです。

あの夜、父と光和さまはお仕事で城を出られていました。
姉さんは、城から近い私の家へ預けられていて…そんなことは、よくあることでしたから、特別なこともありませんでした。

母と私と、3人で夕食を取って…その後のことは、私は全く覚えていません。

ただ、何となく記憶にあるのは…まだ日も昇りきらぬ内に起こされて、事態はよく分からないものの、父に力一杯抱きしめられたことだけ。
母が死んだという事実も、殆ど認識出来ずにいたと思います。
 
しかし、母は“力あるもの”です。
恐らく、今の私より遙かに位も高く、陰陽師としての腕もかなりのものだったでしょう。
そんな母が、病気でなど死ぬはずがなかったのです。

母は、殺されました。

夜中、屋敷に寄りつく不審な影を感じた母は、私とみずち姉さんを押し入れに隠し、1人で弓を取り、庭に出ました。
そこにいたのは、黒服の暗殺部隊…父も、直接見たわけではないので、詳しいことは書かれていませんでしたが、母は1人で応戦し、私とみずち姉さんには指一つ触れさせませんでした。

しかし、数も多かったのでしょう。
敵を撃退することは出来ましたが、母は力を奪われ、傷を癒すこともできずに…。

明け方、父と光和さまが戻られ…そこには、血の気を失い、庭でぐったりと倒れている母がいたそうです。
母は、息を引き取る前に、ことの真相を父に伝えました。

暗殺者たちは、熊谷信直に雇われた者たちであり、狙われたのはみずち姉さんであると。

最期に、母は「あの子たちを、お願い」と言い残し、そのまま目を閉じたそうです。
私とみずち姉さんは、陰陽道の術符で厳重に封印された襖の向こうに隠されていたと。

私たちを守るために、母は…いえ、どうかそんな顔をなさらないで下さい。
父の手紙に書かれていました。「母は、お前たちを心の底から大切にしていたのだから」と。

大切な存在のために、命すらかけて戦った―そんな母を、私は誇りに思っています。


話が逸れてしましましたね。

それから、母は病死として葬儀が営まれ、最初は悲しみに塞いでいた私も、いつしか元の生活に戻っていました。
よくは覚えていないのですが、きっとみずち姉さんが、色々な所に連れ出して元気づけてくれたのでしょうね。

しかし、一度壊れた関係を、元に戻すことはできません。

これまで穏健に対応されてきた光和さまでしたが、その一件でとうとう兵を挙げられました。

他にも、領地を横領されたとかで、度々争いは起こっていたようですが…自分の娘を殺されかけ、乳母である臣下の妻を殺されたとあって、もう躊躇う必要がなくなったのでしょうね。

向こうの居城に兵を向け、ご自身も父と共に出陣なさいました。

しかし、熊谷信直とその弟の直続の反撃により、武田家は逆に痛手を受け、光和さまは命こそ助かりましたが、“力”を失われました。


私たち“力あるもの”は、その力を失った時に、身体に障害が生じる場合があります。
それが、高位の方であったならば、それだけ大きく…。

光和さまは、左腕が動かなくなり、身体が弱り床に伏せがちになりました。
簡単に、戦場には立てないであろうお身体に…。

この時点で、武田家の未来は翳っていたのでしょう。
嫡子のおられない光和さまには、跡継ぎの問題もありました。

もしも、姉さんが男であったなら、無理矢理にでも嫡出として跡を継がれたかもしれませんが、生憎まだ幼い少女でしたから。


そんな苦労もよく理解せずに、私とみずち姉さんは、それなりに平穏な日々を送っていました。

やはり、大蛇さまのお血筋でしょうか。
姉さんは誰が教えたわけでもないのに剣を振り始め、私はそんな姉さんの護衛につくため、父から陰陽道と弓の技を教わりながら育ちました。

いつかこうなることを、父は見越していたのでしょう。
少なくとも、姉さんを守るために必要な技術は、充分教えてもらったと思います。

それだけでなく、天気が良い日は海へ遊びに行って貝を探したり、山の中で遊び回ったり…そういった武術を仕込まれているのにしては、普通の子どものように、自由奔放に遊んでいた時間も多かったと思います。

私たちは、武士も陰陽師も関係なく、幸せな時間を過ごしていました。

そう。あの時までは…。
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