09/11の日記

20:07
毎日絵は描いてるんだぜ
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でもイマイチ!

あっどうも東雲です。


最近挑戦しているのが、土井きりでno more war!
それと私の土井きり観。


まず1つめですが、私、大学のゼミで平和構築論ってヤツやってるんですね。
要するに世界の戦争をなくそうってことを学んでるんです。

で、土井きりで戦、戦争の悲しさを表現できないかと。
あと、人間の強さも描きたい。

そこから、土井きりを通して、閲覧者に色々考えていただけたり、この現代の戦争にも興味をもっていただけたらなあ、なんて考えてます。

ああ、萌えってすばらしい。


小難しい本読むより、興味をもってもらえるかと。
っていうか一緒に考えていきたいです。


きりちゃんが戦で全てを失ったこと。
でもそのおかげで土井先生、学園の人と出会えたこと。

幸せって何だ、お金って何だ、生きるって、死ぬって。



他にも色々ありますが、モチーフとしては土井きりは最高です。


それと2つめ、土井きりがなぜ良さを突き詰めたい。
個人的な観点ではあるけど、土井きりって儚いんですよね。
彼らの生活は、いつか終わりがくる。きりちゃんの卒業かもしれないし、そのあとかもしれない。
どちらかが死んだ時かもしれないし、それまでに別れが来るかもしれない。
その別れの形も様々ですよね。
また会えると思ったか、とか。
とにかく今の幸せな2人は限られてる。
だからこそ、何気ない会話とか、仕種とか、彼らの普通から滲み出る儚さを描いていきたい。
それはもろさであり、愛であり、命の軌跡だと思うんです。
例えるなら、桜の様な愛の形です。
花びらがつきるまで、その季節がくるまで、散りつづける、美しくて儚いもの。

そんな儚い愛が今から何百年も前に存在していたと想定すると、たまんないですよね。
それから、彼らがパラレルワールド的な2次元に生きて、永遠に同じ生活を送っているってことを、土井きり、いや、忍たまというアニメをえらく客観的に見たものも描いていきたいです。


あああ土井きり考えれば考えるほど深い。

とにかく私の哲学を盛り込んでいきたいです。
これが私の描く土井きりだ!


今日はここまで。

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