「ひーめ」
「ん?」
ミハエル・ブランは備え付けの机に向かって自分に背中を向けている早乙女アルトを呼び続けていた。
「なあ姫ってば」
「あー?」
しかし返ってくるのは気のない返事ばかり。
それだけ真剣に課題をやっていると言ってしまえばそれだけのことなのだけれど。
それにしたってこんな仕打ちはないんじゃないかと思う。
部屋に帰ってくるなり机に向かってそれっきり。
その後は呼べども呼べどもこの調子。
流石にそれはないよなぁ、と思わずにはいられない。
「だからさっきから呼んでるんだけどさ、姫」
「んー、何だよ?」
何度目になるか分からない呼びかけでも振り返りもしない。
確かこの相手からつい数日前告白されたよなぁ、幻じゃなかったよなぁ。
そんなことまでつい思ってしまう。
好き?と聞いたら好きだと答えてくれて。
だから自分も好きだと言った。
文句なしのハッピーエンド。
その筈だったのだけれど。
それから何か変わったかといえばそんなことはなく。
変わらぬ日常だけが過ぎていた。
世の恋人同士はこんなものなのだろうか?と考えて、いやいやそんなことはないと思い直す。
空とベッドの撃墜王、人並以上に経験はしてきてはいても、このお姫様を前にしてはその肩書きも何の役にも立たなかった。
ハァッと溜め息の一つも出てしまう。
諦めるしかないかと思ってつい出てしまった溜め息に、ビクリとアルトは反応した。
おや?と思ってよく観察してみると、課題をしている筈なのにちっとも手が動いている様子がない。
そもそも今日出された課題はそんなに時間のかかるものだっただろうか?と考えて、そんなことはないことに気づく。
何故なら自分は空いた時間に適当に済ませてしまったのだから。
そんな課題に次席でもあるアルトが手間取る筈がない。
そんな簡単なことにも気づかないなんて恋は盲目とはよく言ったものだと思う。
「アールト」
名前を呼びながら今度は背後からギュッと抱きしめた。
「なんだよ、さっきから。邪魔だろ」
こちらを振り返りもせずにそんなことを言いつつも、耳まで真っ赤になっている。
「手が止まってるのに?」
そう指摘してみせれば、ミハエルの腕から逃れようと暴れだした。
当然ながらミハエルは逃すつもりは無く、更にギュッと力を込めて腕の中に閉じ込める。
それでようやくアルトは大人しくなった。
「う…知ってたけどお前って意地悪だ」
「ほら。お前じゃなくて、ミシェルだろ」
そう、きっと原因はこれ。
恋人同士になったのだからこれからは愛称で呼んでとアルトに言ったのだ。
それがどうもアルトには恥ずかしいらしい。
誰もがミシェルと呼ぶ中で、アルトだけは頑なにミハエルと呼び続けていたから、今更呼び方を変えるのは余計に意識してしまうようなのだ。
「これなら顔が見えないからまだ呼びやすいだろ。だから練習」
「み、ミシェル」
「もう一度」
「ミシェル…」
ぎこちなくも呼ばれる響きに嬉しさが込み上げてくる。
初心なアルトは、きっと初めての恋人同士という関係が恥ずかしかったり、どうしたらいいのかわからなかったりするのだろう。
焦りは禁物。これからゆっくりと教えていけばいい。
だって相手は天下無敵のお姫様なのだから。


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