無気力な将軍と韋駄天。


□3、才能の在処
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 練習四週間目。ついに、課題歌の最後の四小節。

 少年が叩きこんだ基礎を余すところなく糧とし、少女は清流のように澄んだ声で歌う。その声は、練習開始頃のものとは比較できないほど涼やかな響きを持っていた。

 少年はその歌声の響きを壊さないようピアノを弾きながら、密かに舌を巻いた。

(まさか、たった一ヵ月でここまで上達するとはな)

 少女は基礎を固めると、あっという間に力を伸ばしていった。

 最初はあくまで面白そうだし、大したこともないくせに偉そうなあのビートとかいう奴の吠え面を拝んでみたいという気持ち半分、クリームコロッケ狙い半分で鍛えてやるなどと言ってしまったが、これならばビートを見返すことも不可能ではないかもしれない。

 それに。少女の歌声を聞いていると、不思議と指が軽くなる。信じられないことに、ピアノを弾いているのが楽しくなる。遠い昔に忘れ去った筈の感覚が戻ってくる。

 そうして曲は、フィナーレを告げた。

 緊張を解いて、少女はその場にへたりこむ。

 少年も深く息を吐いてピアノに頭を預けた。本当に久しぶりに、楽しかった。

「――ねぇ、ショーグン。どうだった?」

 絨毯の上で大の字に寝そべった少女が、感想を求めてくる。

 少年は、両腕に顔を埋めて静かに答えた。

「――聴けるぐらいには、なったかもな」

 自分の中の天の邪鬼がひょっこりと顔を出す。

 この感想に、もちろん少女は拗ねるだろうと少年はふんでいたが、予想に反して彼女は軽やかに笑った。

「そっか。なら、少しは前進できたかな」

 お調子者の少女が珍しく謙虚だったので、少年は素直に褒めてやれば良かったかとほんの少しだけ後悔する。

 しかし、少女が満足そうに笑っていたので放っておくことにした。

「さて! 一通り終わったから、休憩にしようよ」

 ニコニコと笑いながら、少女が白いビニール袋の中からコロッケと缶ジュースを取り出す。

 そういえば腹減ったな、と先程から鳴り続けている腹を押さえて、少年は少女の隣りに座る。

 手渡されたコロッケは少し冷めていたが、空腹の為かとてもうまい。無言でコロッケに齧り付く少年の隣で、一方の少女はカチカチと缶ジュースのプルタブを開けようと苦戦していた。

「あ…開かないぃぃ」

 そう言って少女が渾身の力を込めた瞬間、プルタブが開いて中身のサイダーが間欠泉のように噴き出した。

「うわっ! ど、どうしよ……ショーグン」

 少女が困ったようにこちらを見る。そして、笑えるぐらい見事に、表情が固まった。

「……あ」

 今のサイダーは事もあろうか、少年に向かって噴き出したのだ。おかげで、少年は上半身がびしょ濡れになってしまっていた。

 少女は土下座でもしそうな勢いで謝罪を繰り返す。

「うわあああっ、ごめんなさいごめんなさいっ! ああっ、服びしょ濡れだぁ」

 慌てた様子の少女に対し、少年は興味のかけらもなく我が身を見下ろし、

「全くだ。コロッケが駄目になった」

 と眉間にしわを寄せた。

 少女は、呆れた、とでも言わんばかりにうなだれる。

 それでもポケットからハンカチを取り出して、まず濡れた少年の顔を拭き、次いで少年からブレザーの上着を無理矢理はぎ取った。

「あー、べたべただなあ。洗った方が……って、ポケットに何か入ってんじゃん! 濡れちゃったかな?」

 そう言って、少女がブレザーの上着の裏ポケットに手を差し込む。

 ぼーっとしていた少年はそれを聞いて、はっと我に返った。
 
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