予想外は好きじゃない
□その存在自体が予想外。
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1.
常に先を予想、予測すること。それは僕にとって息を吸うのと同じくらい至極当然のことで。
未来が分かっていれば安心だった。それさえ分かっていれば何も怖くなかった。
そう、だったのに。
目に入ったのは、本当に偶然だった。
パソコンの前でうんうんと唸る彼女のその姿が、あぁ、ホントに困ってるんだな、と見ているこちらにも分かるくらいだったから。
二時間ほどパソコンに向かって自分の用事を済ませた後、隣を通りがかった時もまだ頭を抱えて唸っていたので、つい声をかけてしまったのだ。
そう、ただそれだけの気まぐれ。
「エクセル? どこがわかんないの?」
画面に表示されている表を見て、視線をその人――頭を抱えている彼女に移す。
大量のプリントに半ばまで顔を埋めていた彼女は、僕の声が聞こえたのか弾かれるように顔を上げた。
その表情は憔悴しきっており、余程追い詰められているらしい。死相とはこういうのを言うのではないだろうか。
「じょ、情報の授業の先生から出されてる課題なんだけど……ここが全くわかんなくて……」
僕がそんな下らないことを考えていると、彼女は現在の状況を説明しながら課題の一部分を指した。
データの数値を打ち込んで、簡単な数式を設定すれば10分とかからずできる作業だが、結果は惨憺たるもの。
何をどうしたらこうなるのか、と僕は黒いマウスを手に取ってセルの一つをクリックした。
「…………」
本来なら、加算になっていなければならない式が、除算になっていいた。そりゃあ弾き出される答えも全く違ったものになる筈だ。なぜそれに気づかない。
僕は小さくため息をつきながら、マウスを操作して誤った数式を正しいものに変えた。ダブルクリックで、表の様相は一変する。
「うわっ、すご!! 答え合ってる!!」
静かに僕の操作を見守っていた彼女は、プリントと画面を何度も見比べながら興奮したように声を上げている。
いちいち反応が大げさな人だな、と僕は感心半分呆れ半分で彼女を見ていた。
取り敢えず用は済んだとばかりにマウスから手を離し、僕は机から離れた。そのままパソコン室を出るはずだったが、くんっと引っぱられるシャツの裾に気づいて足を止める。
即座に振り払おうと思ったが、そうする前に裾を持っている手は離れていった。
振り返ると、彼女が申し訳なさそうに僕を見ていた。
「何?」
問いかけながら、しかし僕は彼女が自分を引きとめた理由をなんとなく察していた。どうせ残りの課題を手伝ってくれとか、そういうことだろう。声なんかかけるんじゃなかった。
だから、面倒くさい、という気持ちを前面に押し出した態度で問いかけたのだ。
彼女はそれを感じ取ったのか、眉を下げて困惑の表情を浮かべ、視線をどこかに向ける。
その視線の先を追いかけると、そこにあったのは壁にかけられた時計だった。
時計の針は七時半を指している。
もうそんな時間か、と外に面した窓を見れば、すっかり夜の帳が落ちていた。
「え……っと」
やっと喋り出した。
僕は顔だけ彼女に向けて言葉の続きを待つ。
「ごめんなさい!! 急いでたら無理にとは言わないし言えないんだけど、今、何やってたのか教えて欲しい!」
そんな叫ぶように言わなくても十分聞こえるのに、声を張り上げて頭を下げてくる。
そのつむじを見つめ、僕は首を傾げた。
今、何をやってたのか?
予想していた言葉とは違う。
「どういうこと?」
彼女が分からないと言った部分は、教えてやったではないか。
「あ、あの……恥ずかしいんだけど、操作が早すぎて何やってたのか、どこをどうしたのかあんまり、というか全然……」
そこで言葉に詰まる彼女に、僕は得心した。
つまり、僕が何をやっていたのかわからなかった、と。
君の目は節穴か? と聞きたいのは山々だったが、それをそのまま口にしてしまえばまぁ僕は間違いなく人でなしだろう。いくらそれが事実であったにせよ、そんな台詞をまだ会って間もない他人に言うのは失礼すぎる。
という訳で、僕は違う言葉を口に乗せることにした。
「次はちゃんと見ておいて。もう一回はないから、面倒だし」
険のある言葉だとわかってはいたが、一応釘を刺す。これでまたわからなかった、教えてと言われては敵わない。
無表情で鞄を下ろし、マウスを取ろうとすると、すかさず椅子が差し出された。
どうぞおかけ下さいと言わんばかりの行動に顔をあげると、彼女はにこにこと笑っていた。
「お願いします!」
その笑顔に思わず面食らう。僕にああした言葉を吹っかけられて、それでなお笑顔を浮かべられる人間はそういない。相当図太い子のようだ。
僕は眉間を揉みながら、とりあえず椅子に腰掛けた。